いつも太陽がありますように

『いつも太陽がありますように』(Пусть всегда будет солнце)はソビエト連邦時代の童謡です。

イデオロギー的な歌や、戦士を称える歌のようなものが多かったソ連時代にしては珍しい平和を願う歌になっています。

プー・フシグター、ブージェット・サンツェ
プー・フシグター、ブージェット・ネーバ
プー・フシグター、ブージェット・ママ
プー・フシグター、ブードゥー・ヤー

いつも太陽がありますように
いつも空がありますように
いつもママがいますように
いつも私がいますように

まずは動画

この歌の動画は多数youtubeに上がっているので Пусть всегда будет солнце で検索してみてください。↓はその一例です。

歌詞の内容

“Пусть всегда будет солнце”
『いつも太陽がありますように』

作詞:Костя Баранникова,
Лев Иванович Ошанин
作曲:Аркадий Ильич Островский

Солнечный круг, небо вокруг
Это рисунок мальчишки.
Нарисовал он на листке
И подписал в уголке:
丸い太陽、周りの空
それを男の子が描いた
彼は紙に描いた
そして隅に署名した。

(※)
Пусть всегда будет солнце,
Пусть всегда будет небо,
Пусть всегда будет мама,
Пусть всегда буду я.
いつも太陽がありますように
いつも空がありますように
いつもママがいますように
いつも僕がいますように、

(※繰り返し)

Милый мой друг, добрый мой друг,
Людям так хочется мира.
И в тридцать пять сердце опять
Не устает повторять:
僕の親愛なる友よ、僕の良き友よ
人々は切に平和を求める
心臓が35回動くように
繰り返しても疲れない

(※繰り返し)
(※繰り返し)

Тише, солдат, слышишь, солдат,
Люди пугаются взрывов.
Тысячи глаз в небо глядят,
Губы упрямо твердят:
待って、兵隊さん、聞いて兵隊さん
人々は爆弾を怖がっている
千の瞳が空を見上げている
私の唇は断固として言う

(※繰り返し)
(※繰り返し)

Против беды, против войны
Встанем за наших мальчишек.
Солнце - навек! Счастье - навек!
Так повелел человек.
災厄反対、戦争反対
少年たちのために立ち上がろう
太陽よ永遠なれ、幸福よ永遠なれ
それが人の訴える所

(※繰り返し)
(※繰り返し)

4歳の子の詩

1928年、4歳の女の子、コスチャ・バランニコーヴァ(Костя Баранникова)は“всегда”(フシグダ。英語なら always)ということばを覚えて、楽しくなって、こんな詩を書きました。

Пусть всегда будет солнце,
Пусть всегда будет небо,
Пусть всегда будет мама,
Пусть всегда буду я.
いつも太陽がありますように
いつも空がありますように
いつもママがいますように
いつも私がいますように

この詩に児童心理学研究者K.スパスカヤ(К. Спасскоя)が注目し、雑誌『労働学校の母国語と文学(Родной язык и литература в трудовой школе)』に掲載しました。更にK.チュコフスキー(Корней Иванович Чуковский)の『2から5まで(От двух до пяти)』という本に収録されました。これに注目したニコライ・チャルキン(Николай Чарухин)がこの詩を自分のポスターの中に記載しました。そしてこのポスターを偶然見た、詩人のレフ・オシャニン(Лев Иванович Ошанин)がこの『いつも太陽がありますように』の詩を書き、これに作曲家の-アルカディ・オストロフスキー(Аркадий Ильич Островский)が曲を付けて、この歌は生まれました。

物凄い邂逅の連続です。何か大きなものの意志さえ感じます。

この歌は1962年7月にラジオ番組『С добрым утром!』(おはよう!)で最初に演奏されました。歌ったのはマヤ・クリスタリンスカヤ(Майя Владимировна Кристалинская)です。この歌は、ヘルシンキの第8回世界青年学生祭( 1962年7月27日-8月5日)とソポットの国際歌謡祭(1963年)でも歌われました。

生命の花

サンクトペテルブルクの“Зелёный пояс Славы”(栄光の緑の帯)という所に、Цветок жизни(生命の花)というモニュメントが立っています。


このモニュメントは第二次世界大戦のレニングラード包囲戦で、命を落とした子供たちを追悼するモニュメントです。

そしてこのモニュメントの花びらに、Пусть всегда будет солнце(いつも太陽がありますように)の言葉が刻まれているのです。

世界の平和を祈って。
мир в мире
World in Peace

(2022.3.4)